「送ってやるから、僕とつきあってよ。」
中3の夏。
寝坊した私は、塾のテストに行くために必死に走っていた。
そんな私を、後ろからサッと自転車が追い抜いて、キュッと止まって前をふさぐ。
私は、ハアハアと荒い息のまま立ち止まり、目を凝らした。
3年間同じクラスの地味メガネ、大野だった。
「…はあ?今、なんて…?」
「送ってやるから、僕と付き合ってって言ったんだよ。」
「はあ?わけわかんないこと言ってないで、さっさと乗せて。」
私は大野の後ろに乗ると、
「早く!急いで!」と促した。
「やだよ、付き合うならいいけど。」
「もう、わかったから早く!」
ごちゃごちゃ言ってる大野に返事をして、腕を腰に回した。
「約束だからな。塾が終わるの、待ってるから。」
「わかった、わかった。」
大野はペダルに足をかけると、自転車はギュンッと走り出した。
セミの鳴き声が、ワンワンと響く公園の中を、猛スピードで走り抜けていく。
塾まではあと少し。
良かった、これで間に合う。
大野の背中で、ホッと息を吐いた。
塾のテストは滑り込みセーフ。
なんとか無事に終わらせることができた。
私は、大野との約束なんかすっかり忘れて、友達と一緒に塾の外に出る。
「安田さん。」
名前を呼ばれて振り向けば、自転車にまたがった大野がいた。
「あ、大野…あー!大野!」
「ごめん、ちょっと。」
そう言って、友達と別れると、大野の元に急いで駆け寄った。
「なんでここにいるのよ?」
「待ってるって言ったよ。」
「聞いてない。」
「言った。」
地味メガネのくせに、頑固なやつ。
「わかったよ、で、なに?」
「なに、じゃないよ。デートしよ。」
「はあ?」
「乗って。」
「嫌よ。」
「みんな見てるから、早くした方がいいよ。」
くそー、地味メガネのやつ!
「わかったよ、乗ればいいの?」
「うん。」
私が大野の後ろにまたがると、自転車はギュンッと走り出す。
不思議そうに見ているみんなの前を通り過ぎるのが恥ずかしくて、私はうつむいたまま。
「やっちゃんっ!」
さっき別れた友達の声がして、チラッと顔をあげれば、驚いた顔で手を振っていた。
自転車は、来る時通った公園をゆっくり走り抜けて行く。
もうすぐ日も暮れるというのに、セミがワンワン鳴いていた。
「大野、どこまで行くの?」
私が聞くと、自転車はキュッと止まった。
「ごめん…安田さん、降りて。やっぱり、今日はデート…無理だ。」
「あ、うん。」
言われて降りれば、朝、私と大野が遭った場所。
大野は、汗びっしょりだった。
「今日はありがとう。
次に会えたら、デートしよ…ね?」
「え?あ、う、うん。」
「ありがと、じゃ。」
地味メガネの奥にある、黒い瞳が細くなる。
大野は、そのまま走り去った。
なんだったんだ、一体。
あんなに汗をかいて、苦しそうに頼まれたら、うんと言うしかないじゃん…。
新学期を向かえ、教室に行くと、あの日、大野の様子がおかしかったことの答えがわかった。
大野の席は空いていた。
先生が、話をしている。
地味メガネが転校?
大きい病院で手術…
だから、あの日…
そんなに身体が悪いなんて、知らなかった。
だって、なんだかんだと私の前に現れて、いつも私を助けてくれたじゃない。
空いた席がさみしく見えて、ぼんやり滲んでくる。
え、なんか、ちょっと…あれ、なんか、なにこれ…
私は手で口を押さえて、ぎゅっと我慢した。
机にぽたぽた、水の跡。
「やっちゃん?」
後ろを振り向いた友達にびっくりされて、「なんでもない。」と急いで顔を拭った。
寝坊した私は、成人式に行くために着物の裾をたくし上げて、必死に走っていた。
そんな私を、後ろからサッと自転車が追い抜いて、キュッと止まって前をふさぐ。
「送ってやるから、僕とつきあってよ。」
私は、ハアハアと荒い息のまま立ち止まり、目を凝らした。
「えっ…今、なんて…?」
「送ってやるから、僕と付き合ってって…
言ったんだよ。」
そこにいたのは、地味メガネ…なんかじゃない、スーツ姿の大人になった大野がいた。
「あ…わけわかんないこと…言ってないで…さっさと…乗せて。」
あの時とおんなじなのに、なぜだか涙が溢れてくる。
私は大野の後ろに乗ると、
「早く…急いで…。」と促した。
「やだよ、付き合うならいいけど。」
胸がいっぱいで、言葉がでない。
大野は振り向くと、「デートしにきた。」と微笑んだ。
「やっと、安田さんとデートできる。ずっと楽しみだったから。」
そう言って、大野はペダルをぐっと踏むと、自転車はギュンッと走り出す。
成人式の会場とは反対の道へ。
私は大野の腰に手を回して、ぎゅっと力を込めた。
地味メガネのくせに、
地味メガネのくせに…
なにこれ、胸がキュンとなるじゃん、バカ…
「身体は…?」
「もう大丈夫。」
あんたがいなくなって、ずーっと苦しかった。
「何にも言わないで、転校するんだもん。」
「だって、転校するって言うの、恥ずかしいじゃん。」
「地味メガネのくせに…。」
「ん?なんか言ったか?」
冬の風が冷たくて、キュッと首をすくめた。
そんな、ハタチの冬。
おしまい。
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