第四話
「郁さん?何してるんですか?」
篠原くんの声にハッとして、頭に被ったカーディガンを取った。
「あ、うん、この裏になんかついてたみたい…
あ、でも、き、気のせいかな…。」
「カーディガンの裏に、ですか?」
私は、カーディガンを裏にしたり表にしたりして、どうにか切り抜けようと試みた。
「なんかついてたのは、そこじゃないだろ?」
突然、大野くんが、篠原くんとの会話に割り込んでくる。
「え?」
私が驚いて、大野くんを見上げると、
「唇に。」
って、サラリと言ってのけた。
一瞬固まる私…と、篠原くん。
ボタンが押された、私の脳内デッキ。
さっきの出来事が、頭の中でエンドレスに再生される。
『そんな可愛いとこ見せられたら、
また…したくなる。
また…
「郁さん、唇って?」
「郁さん、唇って?」
ギクリとして、思わず唇を手で覆った。
モーレツにドキドキして、卒倒しそうになりつつ大野くんを見れば、
「俺、なんか言った?」
と、涼しい顔して、とぼける始末。
「大野、意味わかんねー。」
篠原くんは、呆れた声で言いながら、ガタンと音が立つくらい乱暴に席についた。
ぐいーっと椅子の背に身体を預けて伸びをしながら、
「郁さん、大野が意味不明なのは、入社したときから、ずっとだから。」
だから、気にしない方がいいって、私にウインクした。
「おえーっ!
意味わかんねーのは、篠原の方だ。」
大野くんが小さく呟いて、私をチラッと見やると、画面をトンと叩いて、
「そういうことですから、唇にお煎餅がついてる件、よろしくお願いします。」
と、いたずらっ子みたいに微笑んで、スッと離れていった。
プシューっと湯気の立つ音がした。
きっと、私の顔は真っ赤だろう。
知らなかった…
大野くんって…
大野くんって…こんなだったんだ…。
それにしても、画面に残された、この言葉。
『イクハオレノダカラ』
何回見ても、ドキドキしてくる。
『イクハオレノダカラ』
何回見ても、ドキドキしてくる。
マウスポインタの矢印⇧を、画面のなかでぐるぐるさせながら、目は一文字ずつ、何度も追っていく。
イクハ…オレノ…ダカラ…
文字を読むだけなのに、ものすごく息が詰まって苦しい感じ。
マウスポインタの矢印⇧の先が、文字に触れると、大野くんに触れているみたいでドキリする。
イクハ…
オレノ…
頭の中で、カタッとキーを押して変換するたびに、タッタッタッタッと、速いリズムを刻む私の鼓動。
郁は…俺の…
俺の…郁…
大野くんの…私…
私は…大野くんの…
ふふっ
言葉の隣でチカチカと点滅するカーソルは、まるで私のようだ。
大野くんのそばで、ずーっとドキドキしてるみたいに見える。
そうだよねー、ドキドキするよねーって、頭の中でカーソルに話しかけてみたりして。
あはっ、なにやってんだか、私は。
無意識に、笑みがこぼれた。
「郁さん?なんかいいことありました?」
もうちょっと、消さずに見ていたい。
だって、やっぱり嬉しいんだもん。
「郁さん?なんかいいことありました?」
不意に飛んできた篠原くんの声に、ビクッと身体が跳ねる。
「んえっ?」
「さっきから画面を見て、ずーっとニヤニヤしてるから。」
「さっきから画面を見て、ずーっとニヤニヤしてるから。」
「え?うそ?」
「ほんとです。」
この篠原くんとのやりとりを、しっかり聞いていたであろう後ろの人。
「は、はい?」
マッハでdeleteして、恐る恐る振り返ると、
…立っていた。
椅子の背に寄りかかり、書類で顔を隠しながら、肩を揺すって笑っている。
あああああ!
恥ずかしいやら、ムカつくやら、もう、バカアホマヌケ!
とうふの角に頭ぶつけろっ!
すると、急に笑うのを辞めた大野くん。
えっ、マジ?
私の念が通じちゃった?
そして、恐ろしく真面目な顔をして、私のところに歩いてくる。
「郁ちゃん!」
「は、はい?」
突然名前を呼ばれて、心臓ドキン!背筋がシャン!
怒ってる?
「え?あ、全然、全然、とうふの角に頭ぶつけろ、なんて思ってないから。」
「ん?なんのこと?」
「ん?違うの?」
「何が?」
「何でもない…。」
墓穴ー!
念なんか、通じるわけないでしょー!
恥ずかしくて、情けなくて、全身から湯気が出て、完全にゆでダコになった私。
「あれ見て、ニヤついてたの?」
捕まったタコは、戦意喪失。
聞かれたことに、素直に頷くしかない。
「嬉しいの?」
ぺこり
「じゃ、もっかい言おうか?」
ぺこり
…ん?
ダメダメダメダメダメー!それは、ダメー!
私は、首を横にふる。
「ふふっ、分かってるって。」
ああ、これってかなり振り回されてる?
ブンブン振り回されて、年上の余裕なんか、ポイッて遠くまで飛んでってしまったよ。
「落ち着くまで、そのままでいい。」
「え?」
「周りには、打ち合わせしてるように見せてるから、安心して。」
大野くんは、書類に視線を落としたまま、静かなトーンで私に言った。
「…ん…。」
私は今、大野くんに守られている。
なにかあると、いつもこうして守ってくれる。
深呼吸、ただひたすら深呼吸。
ドキドキよ、沈まれ、沈まれ、沈まってーー!
「どう?落ち着いた?」
「うん、もう平気。」
私は、大野くんに視線を合わせ、「ありがとう」って微笑んだ。
「あ…その笑顔、ダメ…マジで…
大野くんの目が、一瞬大きくなったかと思うと、フッと視線が外され、黒目があちこち揺れ始める。
「ね、そのコーヒー、もらっていい?」
「あ…うん。」
大野くんは、缶コーヒーを手に取ると、私を見て、はっきり言った。
こんな場所で聞けるはずのない言葉に、胸がギュンと掴まれる。
「大好きなんだ。」
え?うそ、なんで?
ここ、みんな、イル、ミンナ、ミテル
あまりのことに驚いて、思考も動きも、ロボットみたいにぎこちなくなっていく。
「えー、大野先輩って、郁さんのことが好きなんですかー?」
隣のひよりちゃんが、素っ頓狂な声を上げた瞬間、みんなの視線が、一気に集まった。
「ひ、ひよりちゃん、違うから。」
焦る私に、ひよりちゃんは、どんどんエスカレート。
「先輩、いつからですかー?えー、知らなかったー!」
ひよりちゃんは、大野くんの大学の後輩で、この四月に入社したばかりの新人社員。
席は私の隣。
なので、彼女にいろいろ教えるのは、私のお役目となっている。
「相原ー?俺が大学んときから、草食系って言われてんの、知ってるだろ?」
ひよりちゃんが、コクリと頷く。
「だーかーらー、女子には、全く興味ありませんからあ~!うふっ♡」
大野くんは、オネエみたいな声色を使って、周囲の笑いを誘う。
「勘違いするな、俺が好きなのは、これのこと。」
大野くんは、手に持っていた缶コーヒーを、ひよりちゃんに見せた。
「あー、なんだー!やだー、私、また勘違いー!」
ひよりちゃんがそう言うのと同時に、デスクの向こうからも、でっかいため息が聞こえた。
大野くんは、硬直したままの私の顔の前で、コーヒーをフリフリさせながら、
「このコーヒーが…………一番好きだよ、郁…………ちゃん。」
そう言って、サッサと席に戻っていった。
取り残された私は、まるで餌をもらえなかった池の鯉のように、パクパク口を動かすだけ。
…もーっ!あの「間」はなにー?
言葉を切るとこ、全然ちがーう!
確信した。
大野くんは、ぜーーったい、ぜーーーったいに、草食系なんかじゃない!
私は、その辺にある書類を掴んで、
「コピーしてきます。」
と、フロアを出た。
コーヒーを買った自販機の前に来て、立ち止まる。
大野くんのコーヒーを連続でデコピンして、憂さを晴らした。
私、本当はからかわれているのかな…。
女子に興味ないって言ってたし…。
なにが本当なのか、全然わかんないや…。
はあ…
ため息をつきながら、自販機におでこをあてて、目をつぶった。
自販機のブーンという音の合間に、バタバタ音がする。
それは私のそばまでやってきて、ぐいっと腕を掴んだ。
びっくりして目を開ければ、大野くんが私の腕を掴んでいる。
狭いカーテンの中、大野くんに抱きしめられて、もう、息ができない。
「見つけた。」
びっくりして目を開ければ、大野くんが私の腕を掴んでいる。
「誤解してんじゃないかと思って…俺…
大野くんが、何か言いかけたそのとき、廊下の奥から私を呼ぶ声がした。
篠原くんの声だ。
大野くんは、クソッと小さく呟くと、
「こっち来て!」
と、自販機と窓の隙間に私を引き込んで、束になったカーテンの中に、一緒にくるまった。
狭いカーテンの中、大野くんに抱きしめられて、もう、息ができない。
大野くんの吐く息が、私のおでこに当たって、そこばかりが熱い。
この状況が苦しくて、思わず口を開いた。
「お、おの、くん…
「しっ!黙って…
大野くんは、私の頭を掴んで、強く胸に押し当てた。
もう、何も言えなかった。
力強い心臓の音。
せっけんの香り。
呼吸する胸。
大野くんに身を委ねて、静かに目を閉じた。
ランチを終え、仕事を始めても、ずっと身体が熱くて、ちっとも冷めなかった。
tomoe
私の後頭部を掴んでいる手。
大野くんに身を委ねて、静かに目を閉じた。
自販機の近くまで、足音が近づいてくる。
大野くんの手が、一層強く私を抱きしめる。
大野くんの緊張が伝わって、私の身体もぎゅっと硬くなった。
「大丈夫?」
「郁さん?…あれ?ここにもいないか…。」
足音が遠ざかり、自販機のブーンという音しか聞こえなくなった。
「大丈夫?」
私は、こくりと頷いた。
全然大丈夫じゃない。
私の心を散々散らかして、いつもサッといなくなる。
全然大丈夫じゃないよ。
全然大丈夫じゃないよ。
ほら、身体が、まだこんなにも熱いんだから。
ランチを終え、仕事を始めても、ずっと身体が熱くて、ちっとも冷めなかった。
もうすぐ5時になる。
大野くんは、まだ外から帰ってこない。
それにしても、熱いな…。
ああ、なんか息苦しい。
キーボードを叩いていた手が止まる。
ダメだ、頭がぼーっとする。
なんか、ほんとに熱い…。
次第にハアハアと息が荒くなり、頭がガンガン痛くなってくる。
あれ?なんか、おかしい…
PCの画面が揺らいでみえる。
……………
挿絵原画
あれ?
ほんとに…おかしい…
そのまま急に視界が暗くなり、私は意識を失った。
……………
挿絵原画
第三話で、絵師さんに書き下ろしていただいたものを、再度使わせていただきました。
デジコン始まったのに、まったくチェックせず、お話に没頭していました。
今朝、いろいろ見てきて、怪我なく、無事に成功した様子に、ホッとしました。
今日も、嵐さんたちが、怪我なく、楽しんでくれたら嬉しいな。
さて、
相変わらず、ただひたすら書いてます。
なんにも考えずに、書くって楽しい。
いろいろ考え出すと、とまんなくなる性分だから、できるだけ何も見ないで、お話だけを書くようにしています。
あと残り一話、絵師さんと共に、絵師さんの素晴らしい絵に恥じないように、ただひたすら書くこと。
いまは、ただそれだけです。
コメント&メッセージをいつも本当にありがとうございます。
たくさん褒めていただいて、なんだか動揺中。
やっぱり絵師さんてすごいんだなーて、実感することしかり。
文章が生きて見えるもん。
人の手で作り出されたものって、やっぱりすごい。
絵は特にすごい。
ありがとうやら恥ずかしいやら、みなさんのヨイショっぷりには、脱帽ですσ(^_^;)
木に登らすの、うますぎですって!
でも、私、高いところ大好きなんで、登るのは悪くないです。
だからもう少し、登ったままで、楽しんで書いてきます。
上手く言葉にできなくてもどかしいですが、みなさんのこと、いつも想っています。
ありがとう。
感謝でいっぱいです。
今日も素晴らしい一日を!
tomoe