弟は、ハタチを過ぎても、毎日のように私の部屋に来て、必ずコーヒーを飲んで帰っていく。
「姉ちゃん。」
「んー?」
私は、本に視線を落としたまま返事をする。
『もう会えないと、別れを告げて歩き出す彼女を追って、彼が走り出す。
彼は、彼女の名を呼ぶ。
足を止めた彼女を、彼が後ろから強く抱きしめた。』
ここまで読んでフーッと息を吐き、しおりを挟んだ。
冷めたコーヒーを口に運びながら、向かいに座る智に視線を送る。
智は、カラになったカップを、コトンとテーブルに置いた。
「姉ちゃん、あのさ…あいつと付き合うの?」
あいつとは、さっき智と玄関で鉢合わせした同僚のことだろうか。
告白されているところに、ちょうど智がやってきたから、まだ返事はしていない。
「うーん…好きって言われると、なかなか断れなくて…。
そんなことより、もう一杯飲んでいきなよ。私のも冷めちゃったし、一緒にいれてあげるから。」
「あ、うん。…ありがとう。」
ぎこちなく差し出された智のカップを受け取って、私のと並べて置いた。
新しい粉をセットして、水を注いでしばらく待つと、コーヒーがポタリポタリと落ちてくる。
私は、屈んでそれ眺めながら、大きく息を吸った。
「いい香りだね。」
すぐ後ろで、智の声がする。
「うん、この香り、大好き。」
「俺より?」
「当たり前。」
当たり前に智が好き、だなんて言えないけれど。
「あ、できたから、今いれるね。」
カップにコーヒーを注ごうと、ポットをゆっくり傾ける。
茶褐色の艶やかなコーヒーが流れ落ち、立ち上る白い湯気が大きく揺れた。
…えっ?
突然 後ろから抱き寄せられて、カップに入りそびれたコーヒーが、テーブルの上で小さな水たまりを作る。
「好きだ。」
ビクッと身体が小さく跳ねた。ポットを持つ手に力が入る。
「…姉ちゃんがいれるコーヒー。」
ああ、そうだよね。私は、フーッと息を吐いた。
心臓は、未だ加速し続けている。
「は…ははは…びっくりした。もう、離してよ。コーヒーがこぼれちゃったじゃない。」
それでも、智の手は緩まない。
「ほら、ふざけてないで。好きなコーヒー、冷めちゃうよ。」
私は、智の手を掴んで揺すりながら、「離して」と言った。
「…好きだ。」
「う、うん、わかったから。コーヒーでしょ?早く飲もうよ。」
「好きだ。」
「も、もう、だからー…っ…
言い返そうとした私を、さらに強く抱きしめながら、智は吐き捨てるように言った。
「だから、俺が好きなのは、姉ちゃんなんだよ!もう、他の誰にも渡したくねーんだよ!」
ああ、ばか。
それはダメだよ…。
無理に閉じていた扉がバンッと開いて、私はストンと落ちていく。
産まれたときから隣に住んでいて、お互い一人っ子。
一人ぼっちでいつも泣いていた智に、私が「姉ちゃん」になると約束したのは5歳の頃。
それからずっと、智とは姉弟の関係。
私に彼氏ができても、姉弟としていつも一緒にいた。
「弟だよ、智は。」
「分かってる。でも、もう、弟でいるのは嫌なんだよ。」
「もし、彼氏彼女になったらさ、別れるときがあるんだよ?私は、智とずっと一緒にいたいから、このまま姉弟でいたいよ。」
私がゆっくり振り向くと、智がおでこにキスをした。
「あんとき、俺のおでこにこうしてキスをして、俺の姉ちゃんになって、ずっと一緒にいてくれるって約束してくれたよね。」
「…うん。」
「じゃ、今度は俺が約束する。ずっと一緒にいよう。」
あー、ダメだ、涙が溢れてくる。
「や、やだよ、彼氏彼女になったら別れなきゃいけないもん。私だって好きだもん。別れたくないもん。」
「別れねーよ。」
「死んだって別れねー!」
智は、もう一度私を抱きしめ、おでこにキスをした。
「これからはさ、姉ちゃんとしてじゃなくて、俺の…奥さんとして一緒にいてよ。
だって、もう俺、他の人がいれたコーヒーなんか飲めないもん。」
……………
今年最後のお話は、
智くんからプロポーズ
ずっと前に書いた夢のお話をリメイクして、アップしてみました。
私の書いたお話を、好きだと言ってくださる皆様へ。
ほんとにありがとうございました。
今年一年、こうして楽しくかけたのは、皆様のお声があったからこそです。
ほんとに感謝しています。
今は、全部閉じてしまっているので、皆様のお声を聞くことはできないけれど、
きっと、誰かしらは楽しんでくれていると信じて、書かせていただきました。
読んでいただき、ありがとうございました。
tomoe