終業式前日の日曜日。
友達に当番を代わってもらって、ちょっと早めに部活に来た。
今日の当番、どうしてもやりたかった。
だって、この日を逃したら、もう会えないから。
休みの日の当番は、部活開始30分前に来ることになっていて、
男子部、女子部から各1名ずつ、2人で部活の準備をする。
8時20分。
心の準備をするために、時間よりも10分早い。
それなのに、
「今日しかできないってなんだよ。日曜日なんか、まだたくさんあるじゃん。」
それなのに、
部室のドアを開けると、すでに大野は来ていて、ボールに空気を入れはじめていた。
「は、早いね。」
私が声をかけると、大野は驚いたような顔でこっちを見る。
「あれ?お前当番だっけ?」
「違うよ、変わってもらったの。
休みの日の当番は、今日しかできないから。」
私は、カバンをその辺におき、カゴを挟んで大野の向かいに座る。
「今日しかできないってなんだよ。日曜日なんか、まだたくさんあるじゃん。」
大野は、私を見て笑う。
人の笑顔で、こんなに苦しくなるのは、この人が初めてだった。
「だって、できないんだもん。」
私は、ざわつく気持ちに戸惑いながら、
無言でボールを手に取り、針をブスッと刺して、シュポシュポ空気を入れた。
「お前さー、もっと優しくやんなきゃだめじゃん。空気入れるとこが、おかしくなっちゃうだろ。」
「お前さー、もっと優しくやんなきゃだめじゃん。空気入れるとこが、おかしくなっちゃうだろ。」
「そんなの、分かってるよ!」
ソフトテニスのボールは、柔らかいゴムでできていて、空気を入れる場所だけちょっと硬い。
そのおへそみたいに丸くなっている場所に、空気入れの針を刺す。
同じ場所に刺しすぎたり、乱暴に扱うと、空気が抜けやすくなる。
だから、どこでも刺しゃいいってもんじゃないし、優しくやんなきゃいけない。
…そんなの、分かってる。
「なに朝から怒ってんだよ?」
「怒ってないよ。こういう顔なんです!」
私の憎まれ口を「はいはい。」とあしらいながら、大野は空気を入れ続ける。
「お、黄色ボール見つけた。ラッキー!」
たくさんの白いボールの中に、なぜか数個の黄色いボールが混ざっていて、
練習のときにそれが飛んでくると、
「ラッキーボール!」って言って、みんな喜んでいた。
「ほら、これ、お前に空気入れさせてやる。」
差し出されたボールを、「いらないし!」と、わざと嫌な顔して受け取って、
ボールのおへそにブスリと針を刺した。
まるで、自分を刺しているかのように、チクリと心が痛む。
膨らんでいくラッキーボールとは対象的に、
膨らんでいくラッキーボールとは対象的に、
私の心は、痛みでどんどんしぼんでいった。
…ああ、可愛くない。
全然、可愛くない。
自分で分かっていても、大野には、嫌な言い方しかできない。
「でもさ、お前と話してると、楽しーよ。マジでウケるし。」
「ウケるってなによ。」
「ほら、そうやって突っかかってくるだろ?マジでウケる。」
「あっそ。じゃ、これからは、ウケてもらえなくて、残念です!」
「え?なに?お前から面白さをとったら、やばくね?」
大野の笑顔は、なんでこうも私をキュンとさせるのだろう。
大野の笑顔は、なんでこうも私をキュンとさせるのだろう。
痛くて苦しくて、どうにもならない自分の気持ちがはがゆかった。
もう、勢いで言うしかない。
これ以上、嫌な女の子でいたくない。
できるだけ顔を見ないようにして、
大野を好きになって、
「…やばく、ないよ。
私、引っ越すの。
…ほら、最後に、最高にウケるネタを持ってきてあげたんだから、感謝してよね!」
できるだけあっさりと、
できるだけ軽く、
こんなこと、なんでもないと言う風に装って…
「だから当番も、今日やらなかったら、もうできないし。
だって明日で、サヨナラなんだもん。
ね?…ウケるでしょ?
最後にして、大ウケのネタでしょ?」
できるだけ顔を見ないようにして、
とにかく言い切った。
「…大野?」
思わず口からこぼれた心の声。
大野は、手に持っていたボールを壁に向かって思いっきり投げた。
「…大野?」
正面の、大野の手にあるボールは、ギュッと潰れていた。
「ボール、潰れてるよ。優しくしろっていったの、大野だよ?
…てか、ウケないの?
ここ、めっちゃ笑うとこでしょ?」
「ねえ、それ…マジで、言ってんの?」
「う、うん。部活は今日でバイバーイ!大野ともサヨナラー!はははははっ!」
もう、感情なんか何処かに吹き飛んで、入れ物だけになった私が、カラカラと笑っている。
それを黙って見ていた大野が、
無言でボールのカゴを持ち、横にどかしてもう一度、私の前に座り直した。
2人の間を隔てていたものがなくなって、一気に距離が近くなる。
大野の顔は、笑っていない。
ただ黙って、私をじっと見ていた。
「う…ウケてよ。そうじゃなきゃ、引っ越せないよ…。」
思わず口からこぼれた心の声。
気づけば、涙が流れてきて、どうにも止まらなくなっていた。
「じゃ、ウケない。」
「え?なんでよ?最高のネタでしょ…?」
大野は、手に持っていたボールを壁に向かって思いっきり投げた。
跳ね返って、転がって、私の膝にコツンと当たる。
ああ…
「じゃ、お前に、もっと最高のネタ、教えてやるよ。」
大野は、カバンにぶら下がっているキーホルダーを手にとった。
「S」
大野の名前のイニシャル…だよね?
「これ、お前だよ。
どういう意味が分かる?」
私が首を横にふる。
「…斉藤の『S』。
俺が、お前といつも一緒にいたいって思ってるってこと。
…な?ウケるだろ?」
ああ…
大野…大野大野大野…
頭の中が大野でいっぱいになって、涙が滝のように溢れてくる。
大野は、見たことのないような、柔らかな微笑みを浮かべた。
「…ウケる。」
「じゃ、笑え。俺も、笑うから。」
大野は、見たことのないような、柔らかな微笑みを浮かべた。
「俺、ずっとお前に言いたいことあるんだけど、今は言えない。
部活でさ、県で優勝してからって決めてたんだ、お前に言うのは。
5月にさ、最後の大会があるだろ?
それ、終わったら…
…だから、俺にとっちゃ、お前が引っ越しても関係ない。
待っててよ、それまで。
必ず優勝してくるから。
…な?めっちゃウケるだろ?」
『かぜとなりたや
はつなつの かぜとなりたや
かのひとの まえにはだかり
かのひとの うしろよりふく
はつなつの はつなつの
かぜとなりたや』
川上澄生さんの詩。
大野を好きになって、
大野と離れて、
私は、それからずっと、
この詩が好きだ。
~end~
…………
中学時代の淡~い恋。
思い出してくれたら嬉しいです(^^)
今朝、届いたメッセージ。
『今日、絶対優勝してくるから。』
目を閉じ、風になって、大野の闘う姿を想う。
…かぜとなりたや はつなつの
かぜと なりたや…
~end~
…………
中学時代の淡~い恋。
思い出してくれたら嬉しいです(^^)
今日も素晴らしい一日を!