………………第3話
遠ざかるあなたの背中を見つめながら、思い返していた。
触れられた頬が、まだ、ジンと痛くて、身体を震わすような痺れに苦しくなる。
この痛み、初めて知ったときのことを、今でもはっきり覚えていた。
小さな頃は、抱きしめたり手をつないだり、当たり前のようにしていたスキンシップ。
それが、当たり前じゃなくなった瞬間、あなたは私の特別な人になった。
14歳、中2の暑い暑い夏の日だった。
その時、あなたには一つ年上の彼女がいたけれど、私たちは、いつもと変わらない関係が続いていた。
あのときまでは、ただの幼馴染だったのに。
夏休み。
宿題を手伝ってと呼び出された図書館。
ちょうど部活も休みだし、アイスをおごると約束させて、自由研究の参考になる本を探しにきてあげていた。
時間は、お昼少し前。
科学関係の専門書が並ぶ小難しい棚の前で、あなたが唐突に話し出す。
「なあ、キスってどう思う?」
手にとった本を、落としそうになりながら、あなたの顔をマジマジと見る。
「なんだって?」
私は、小声で聞き返す。
「だから、キス。」
視線を落とせば、あなたの手には魚類図鑑。
あっ、てことは、魚のキスのことよね。
一瞬、キスってあのキスかと思った自分が恥ずかしくなる。
思春期だから、この手の言葉に敏感に反応しちゃうんだよ。
って、自分に言い訳する。
誰も聞いていないのに。
「あ、私、上手くできるよ。」
天ぷらの作り方、昨日お母さんに習ったから。
「お前、上手くできるの?」
あなたは、驚いた顔で聞いてくる。
「できるよ、練習したし。」
あなたは、驚いた顔で聞いてくる。
「できるよ、練習したし。」
「練習したの?」
「したよ。」
「いつ?」
「昨日。」
「昨日?マジか?」
あなたは、ちょっと考えるような顔して私に言った。
「なら、俺に教えろよ。」
「いいけど。じゃ、うちに来る?今日みんないないから、ご飯作らなきゃならないし。」
確か、昨日の残りが、まだ冷蔵庫にあったはず。
確か、昨日の残りが、まだ冷蔵庫にあったはず。
自由研究に料理を取り入れるなんて、なかなか面白いかもね。
そこまで話してちょうどお昼になったので、図書館を出て、自転車で家に帰った。
「じゃ、今からやるから、ちょっとこっちに来て。」
冷蔵庫を開けて、材料を確認していると、あなたが隣にやってくる。
ちっちゃい頃は、段ボールの上に並んで立って、ここでホットケーキを焼いたっけ。
「なに?キッチンで教えてくれるの?どんな練習したんだ、お前。」
わけのわかんない質問は、めんどくさいから無視をして、「いいから手を洗え」って指示をする。
「手?手だけでいいの?」
「いいよ。あと、どこ洗うのよ。」
「いや、別にお前が気にしないならいいけど。」
私は、エプロンを手に取ると、あなたに渡した。
「これつけて。」
「これ?まさかの俺が、女役?」
「だって、フリフリのしかないんだもん。大丈夫、あんた女顔だから似合うはず。」
私は、笑いを堪えながら、あなたの後ろに回ってリボンを結んでやった。
「女役かよ。ますますわかんねーじゃん。」
「あんたの言ってることが、私には、全くわかんねーっす。さっ、やろっか。」
私は、昨日下処理しておいたキスを前にして、あれやこれやと話し始めた。
私は、昨日下処理しておいたキスを前にして、あれやこれやと話し始めた。
「ちょっ、ちょっと待て。」
「なによ?」
「お前、なにしてんの?」
「あなたに、ご親切に、教えてあげてるんじゃない。」
「だからなにを?」
「なにをって。」
私は、衣をつけたキスを手に取り、あなたの前にぷらんと下げた。
「キスの天ぷらだけど。」
………えっ?なに?
なにこの微妙な沈黙。
「お前が、上手いっていうから、怪しいと思ったよ。」
…へ?なに?なんなの?
あなたは、ニコリと微笑むと、私に一歩近づいて、ぷらんと下げた揚げる前のキスに唇を寄せた。
あなたは、ニコリと微笑むと、私に一歩近づいて、ぷらんと下げた揚げる前のキスに唇を寄せた。
「俺が教えてもらいたかったのは、こっちのキス。」
ガツンと頭を殴られたみたいになって、あなたの声がすごく遠くから聞こえてくる。
恥ずかしいのかなんなのか、もうこの場からダッシュしたいのに、足が床にくっていて動けない。
「先輩が、誕生日のプレゼントにキスしてくれって言ってきたんだ。そうしたら、受験も頑張れるって。
でも、先輩は虫歯があるって言ってた。虫歯がある人とキスすると虫歯がうつるんだって。だから俺、キスより虫歯が気になって。どうしたらいいかって。」
ぐわんぐわんと反響する頭で、私は思った。
そんなこと、どうでもいい!
虫歯とかどうでもいい!ばかじゃねーの?
…私もだけど。
「虫歯もそうなんだけど、俺、キスとかあんまり興味ない。きっと、しすぎたからだな、お前と。」
追い打ちをかけるような最後の一言で、一気に現実に戻された。
はーー?
巻き込むな、私をキスに巻き込むな!
「あんたねぇ…いつの話してんのよ。」
「したじゃん、何回も。」
「したじゃん、何回も。」
「10年以上前の話でしょ…小学校に上がる前の話で…それに、あんなのキスじゃないでしょ?」
そう、私のファーストキスはあなただった。それも、遠い遠いはるか昔のこと。
私の黒歴史。
すっかり忘れていたことを思い出させやがって。
「お前、あれからキスした?」
「するわけないでしょ?彼氏もいないんだし。」
「俺も。
何人か付き合ったけど、全然そんな気にならなくて。
なあ、俺って、性的な障害があんのかな?」
そんな話を、そんなフリフリエプロンつけて、しれっと言うな。
「そんな障害あるわけないよ。あんたは大丈夫。したいと思ったらするでしょ?今は部活も忙しいし、そういう時期じゃないんじゃない?」
天ぷら持って、真面目に答える私もどうかと思うけど。
「形だけでもキスしたら、付き合い方も変わってくるのかなとかさ。
プレゼントに欲しいっていうなら、別にくれてやってもいいって思いつつ、なんかさ、いろいろ、よくわかんなくて、お前に聞いた。」
なるほど。
けっこう深く、あなたなりに悩んでるのか。
「付き合い方を変えたいの?」
「それも、わかんない。でも、付き合っているからには、相手が喜ぶことはしてやりたいとは思う。」
「…それで、キス?」
「うん。」
私は、フーっと息を吐いて、天ぷらをお皿に置くと、あなたに背を向け手を洗った。
なんて答えてあげたらいいのかな。
どう言ってあげたら、自信がつくのかな。
私は、あなたの方に向き直り、ゆっくり諭すように言葉を繋いでいった。
「あんたなら、上手にできるよ。」
「そうかな?」
「女の子は、大切な日に、好きな人とキスするのを、すごく幸せに思うから…きっと喜ぶと思うよ。」
あなたが、ふわっと微笑んだ。
私も、お返しのように笑った。「なあ、練習していい?お前で。」
言うと思った。
あなたは、昔から自信のないことは、必ず私で練習する。
なにこれ?
「アイス3本ね。」
「了解。」
この時までは、ただの幼馴染だった。
だけど、
次の瞬間、私の中で大きく何かが弾け飛ぶ。
「誕生日おめでとう。」
「誕生日おめでとう。」
急に引き寄せられた胸の中。
「プレゼント、あげる。」
聞いたことのない、優しい声。
「顔、あげて。」
言われたままに顔をあげると、あなたは私の頬に優しく手を添える。
なにこれ?
なんなのこれ?
ちっちゃい頃のキスと全然違う!
幼馴染のあいつのくせに…
ばかなくせに…なんか、なんか…
焦る私は、ちっちゃい頃のあなたを探そうとして、顔面を凝視した。
違う。
いないよ、ちっちゃい頃のあんたがいない。
これ、違うよ。
「おい、目、閉じてくんなきゃ、できねーだろ?」
「あ、あ、ごめん。」
私は、バチンと音がするほど、強く目を閉じた。
息、止まる。
汗、噴き出す。
血液の流れる音が聞こえる。
ドンドンと暴れる心臓。
後頭部を掴まれて、もう身動きできない。
絶体絶命!
アブラカタブラ
アブラカタブラ
ナムアミダブツ
ラーメンタンメンヒヤソーメン
トナリノカーチャンデベソーー!
パッと目を開けたら…
ラーメンタンメンヒヤソーメン
トナリノカーチャンデベソーー!
…⁈
私は、いつもみたいにほっぺを掴まれていた。
パッと目を開けたら…
「練習ここまで。お前のおかげで、だいぶイメージできた。
あとは本番で頑張るよ。いつもありがとな。」
もう好きになっていた。
「お前って、キスするとき、可愛い顔するんだな。」
胸がギュンとなって、思わず自分で自分を抱きしめた。
なんて返していいか、言葉が見つからない。
そんなこと言われても、なんともなかった数分前の私を返せ。
「腹減ったから、ご飯よろしく。」
そんな私に気づくはずもなく、あなたはエプロンを外しながらリビングに向かった。
私は、大きく息を吸う。
何回も。
それでも、この身体中の痺れと、脳みそが揺らぐような息苦しさは消えなかった。
続く
…………
イラスト W*(原画は一話にあります)
Photo tomoe
どうだろう…楽しんでもらえていますか?
久しぶりの書き下ろしなんで、心配なんですが、楽しんでいただけたらうれしいなぁ。
一話でコメのお返事をしていたのですが、最後までできなくてごめんなさい。
今は、本当に書くのが楽しくて、勝手に動き出す登場人物を、必死で追いかけながら書いています。
みなさんの読後の感想を読ませていただくのが、本当に楽しくて嬉しくて。
ぜひ、読まれたあと、何か思うことありましたら、一言言葉をおいていってくださいませ。
楽しみに待っています(^^)
今日素晴らしい一日を!