雪の朝、ホームは混んでいた。
人々は、電車の到着を、今か今かと待ちわびている。
3両目に並んだ陸人(りくと)も、イヤホンをして参考書を開きながら、電車を待っていた。
12月24日、塾の模試。
昨夜は、遅くまで机に向かっていたのだが、それでもいまいち自信がない。
もちろん勉強もだが、あの独特の雰囲気が苦手なのだ。
前回は、鉛筆を落として拾ってもらった後、ずっと変な汗とドキドキが止まらなくて、全く集中できなかった。
鉛筆ならまだいい。
音がするから、向こうから気付いてもらえる。
消しゴムなんか落としてしまったときは最悪だ。
音が出ないから気付いてもらえないし、スーパーボールのごとくバウンドして、とんでもないところまで行ってしまうことがある。
そうなると、テストどころじゃない。
手を挙げるタイミングばかり気にしてしまうからだ。
陸人は、あごの下にあったマフラーを引き上げながら、頭上の時計を見る。
電車はかなり遅れていて、ようやく二つ前の駅に着いたようだ。
かなり早めに来ておいてよかったと、陸人は思った。
遅刻して途中から入るのだけは、絶対に避けたかったからだ。
時折、ホームに風が吹き込むと、陸人のカバンについた鈴が揺れ、チリンと音を立てた。
雪が紙に当たって、パラパラと音を立てる。
陸人は、開いた参考書の上に邪魔するように降る雪を、ふっと吹いて飛ばした。
雪で隠れていた文字が見える。『あなたの願いは何ですか?』
…ん?英語で答えなさい…か。
俺の願いは、5年前からずっと変わってない。
って、どう訳すんだっけ…えっと…。
えっと……っえ?
突然のことだった。
後ろからイヤホンの片方を引っ張られ、耳から外れた拍子に聞こえた言葉。
「好きよ。」
…なに?
もう片方のイヤホンを外しながら、陸人は直角に振り返る。
「好きよ、陸人。」
陸人の目には、柔らかそうな栗色の髪の毛と、黒目がちな丸い瞳の女の子が写った。
背は、陸人よりだいぶ低い。
「ちょ、ごめん…君、だれ?」
自分の名を呼ぶその顔に、全く心当たりがなかった。
この予想だにしなかった出来事に、消しゴムを落としたときみたいに、変な汗がどうどうと噴き出してくる。
「会いたかったよ、陸人。」
「だから、俺は、君のこと…。」
「陸人だって、会いたいって言ってたのに…。」
俯く彼女の頬を縁取る茶色いファーの毛先に、ビーズのようにくっついた雪が、キラキラ輝いている。
「好きよ。」
陸人は、聞きたくないという風にイヤホンを耳にはめ、「ごめんね。」と前を向いた。
同時に、電車到着のアナウンス。
彼女は、陸人の背中に手を伸ばし、イヤホンを両方引っ張った。
すると陸人は、参考書をパタンと閉じて、怖い顔をしながら振り向いた。
「なに?まだなんか用?」
「好きな人に好きって言えるって、幸せなことなんだよ。」
「なんだそれ。もう、俺の邪魔しないでくれる?」
電車が、大きな音を立てて、ホームに滑り込んでくる。
「陸人が大好きだって、やっと言えたのに。」
ドアが開き、ホームに膨らんだ人々は、次々に電車へと吸い込まれていく。
「ごめん、とにかくわかんないし、悪いけど、遅刻しそうだから。」
そして陸人も、電車の中へ消えていった。
彼女は、きゅっと唇を噛んで背を向ける。
出発のアナウンス。長い笛の音。
ドアの閉まる音がする。
電車が風を引き連れて、駅から離れていった。
一瞬の静寂。
風で雪が舞う中、チリンと鈴の音が聞こえた。
「…お前、まさか…。」
彼女は、振り返る。
そこに、陸人が立っていた。
「チャコだろ?そうなんだろ?」
彼女が応える代わりに、陸人のカバンについた鈴が、チリンと鳴った。
「…マジか…。」
陸人は、ゴムで弾かれたように前へ進み、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「ずっと会いたかった。
好きだ。大好きだ。…チャコ。」
後編に続く。