待ち合わせの店に着く。
勇の名を言えば、奥の個室に通された。
彼女はまだ来ていない。
席について、時計を見る。
時間まで、あと15分ほど。
正直言って、今日会う「葉月」さんの顔なんて覚えちゃいない。
勇の言うように、黙ってるだけで本当に大丈夫なんだろうか。
今まで感じたことのない緊張。
手のひらに、じっとりと汗が滲む。
気持ちがふわふわして落ち着かない。

時間を20分ほど過ぎた。
ずっと緊張が続いていて、どうにかなりそうだ。
フーッとため息をつく。
来ないなら来ないでいいから、連絡ぐらいくれ。
落ち着かない。
こういうの、何が楽しいのか全然わかんねーし。
「おまたせ。」
ドアがスッと開いて、キャップにメガネ、マスクをつけた女性が入ってきた。
心の準備がないまま、突然の登場に心臓がバクンと揺れた。
「勇くん、ごめんね。収録が押しちゃって…
そう言いながら、キャップを外す。
長い髪がパサッと広がり、ふわっと甘い香りが漂う。
あっ…って思った。
さっきまでイラついてた俺…
それなのに、今は胸が…なんか…おかしい…
まずい…俺、ちゃんと勇の代わりができんのか…
ちょっと不安になってくる。
マスクを外して、メガネをとれば、ああ、確かにきれいで…
勇がどうしても落としたいって言ったのが、分かるような気がした。
「勇くん?ねえ、勇くん、聞いてる?」
あ…そうだ、勇は俺だ。
自分が勇でいることさえ忘れてしまうほど、彼女に見とれてた…
「あ、はい。すいません。」
「なあに?かしこまっちゃって。いつもとなんか違うね。」
そう言って、葉月さんは微笑んだ。
定まらない視線を、なんとか落ち着かせて、葉月さんにメニューを渡す。
「う~ん…どうしようかなあ…
髪を耳にかけながら、メニューを指先で追っていく彼女。
髪を耳にかける指先。
メニューをたどる指先。
見ないようにしているのに、目が…追ってしまう…
なんか…ダメだ俺…これ、やばいやつだ…
本能的にそう感じる。
なんかわかんないけど…でもなんか分かる…まずいって。
俺は、なんとかその場を早く済まして帰ろうと、運ばれてきた料理には手をつけず、目の前のビールを一気に飲み干した。
「ちょっと…勇くん、ねえ、大丈夫?」
揺り動かされて、ゆっくり目を開ける。
柔らかな感触。
ここは…
「勇くん…もう、心配したよ…
葉月さんの顔。
俺の目の前。
ん…?
頭の下のこれってもしかして…
俺…葉月さんに膝枕されてる…
しかも、ここ、どこ?
あの店じゃない。
いい匂いがする…
「勇くん、飲みすぎて寝ちゃって…だから…置いてくわけにもいかないし…とりあえず…うちに…
…えっ…てことは、ここ、葉月さんの家?
俺はびっくりして、ガバッと起き上がる。
……!!
起き上がった拍子に、葉月さんの唇にぶつかって…キスをした。
あまりに突然で、あまりの衝撃で、あまりの柔らかさ…
こんなの…初めての経験で…俺…どうしていいか…わかんねー…
「勇くんって…積極的だね…
葉月さんは俺の首に腕を回して、グッと唇をひっつけた。
うわっ…ちょっと待って…違う…違うっ…て…ちが…う…
「勇くん…
葉月さんの声が耳元で響く。
もう、何がなんだかわかんない…
心の奥が鋭く反応して、考えるよりも早く身体が動いてしまう。
まるで何かに操られているみたいだ。
葉月さんの口から洩れる吐息。
その熱い湿った声。
脳みそのど真ん中を突き抜けていくこの感じは、なんなんだ…
♪~♪~~~~♪♪~~~~♪♪~~~
ぼんやりした頭。
携帯…
鳴ってる…
鳴ってる…?
俺…の?
ハッとして、葉月さんから離れた。
ああ、やっぱり勇からだ…
帰らなきゃ…
「葉月さん、ごめん。」
俺は、走って部屋を出た。
静かにドアを開ける。
「あ…勇…
勇は、玄関の壁に寄りかかって座り、そこで眠っていた。
そっとおでこに触れれば、まだ熱い。
…勇、ごめん…
俺、何やってんだろう。
勇を抱きかかえて、ベッドに運ぶ。
そのまま隣に座って、顔を手で覆った。
勇になんて言おう…
勇になんて謝ろう…
自分のしてしまったことに悔いて、心が苦しかった。