あの日あの時、先輩にちゃんと好きって言えていたら…今でも時々そう思うことがある。
絵が下手くそなのに、入った美術部。
新入生を勧誘する先輩に一目ぼれして…思わず入部を決めたんだっけ。
「お前…そんなんでよく美術部に入ったな。」
そう言って、私の描いた絵を見て先輩は笑った。
「残って特訓な。」
そうしてずっと二人で絵の特訓。
「ここはこうして…うん、そう…やればできるじゃん!」
先輩の隣で絵を描いている時間が、一番楽しかった。
徐々に特訓の成果が見えてきて、人様の前に出してもまあまあみられる絵になっていった。
もちろん、先輩の繊細なタッチには到底追いつくことなんかできなかったけど。
懐かしい…思い出すたび胸がキュンとなる…
何年経っても忘れられない恋。
先輩のことは、今も胸の奥にそっと大切にしまってある。
もし、もう一度先輩に会えることがあったなら、大好きでしたって伝えたい。
そう思っていた。
でも人生、そんなに甘くない。
先輩が高校を卒業してから5年、一度も顔を見ることはなかった。
大学で、初めて彼氏ができた。
ずうっと先輩が好きだったから、先輩以外の男子には興味がなかった。
だから、告白なんて初めてされて、ほんとにびっくりした。
「ずっと好きだった。付き合ってください。」
そんなセリフ、私が言われるなんて思ってもいなかったから、断ることなんかできずに付き合うことになった。
初めてのデート。
そして、みんなしてるからって言われて、初めてキスをした。
…なんだか…嫌だった…
卒業前に「そういう関係」を希望された。
けれど、未遂に終わる。
部屋に入った途端、急に変わる彼の様子に怖くなって、逃げてきてしまった。
それ以来、「そういう関係」になることは、断固拒否した。
大学を卒業し、就職するために実家を出た。
彼とは、遠距離となり自然消滅していった。
仕事が忙しく、それを悲しんでいる暇などなかった。
毎日を全力疾走しているような、そんな入社3カ月目のある日。
私の人生を変えていく、大きな大きな贈り物が神様から届いた。
久しぶりの休日。
のんびりしようと思ったのに、外が煩くなって目を覚ます。
窓を開ければ、引っ越しの車が止まっていた。
どうやら、隣の部屋に誰かが引っ越してくるみたい。
お腹すいたな…コンビニでも行こうかな…
お財布と携帯を手に持って、外に出た。
まだ引っ越し作業が行われている部屋の前を通り過ぎた瞬間、
「すいません!」
と、後ろから呼び止められた。
振り向くと、全身に鳥肌。
こんなことってある?
「うそっ!先輩!!」
思わず叫んでしまった。
正面に立つ男性の手には、ご挨拶と書かれた包み。
「智先輩ですよね?」
私が近づくと、男性は目を凝らして私を見た。
「えっ?ああ…えっ?えっーーーーーーって、お前…ナナか?」
「そうです、ナナです、先輩!」
「なんでこんなとこにいるんだよ?」
「それはこっちのセリフです。」
なんだか、漫画とか小説の世界のようだ…
一瞬にして、高校のときの記憶が蘇ってくる…
引っ越してきたのは、高校のときの…ずっと忘れられなかった、あの智先輩だった。
こんな偶然ってあるのかと、ほっぺをつねってみた。
「お前、なにしてんの?」
「あ、いや、なんでもないです。」
…やっぱり目の前にいるのは智先輩だ…。
「おまえんち、そこなの?」
隣の部屋を指差しながら、私に聞いた。
「あ、はい。」
「マジで―、ちょーラッキー!」
「ラッキー?」
「俺さ、まだ、水道も、ガスも何にも手続しないで越してきちゃってさ……急に転勤が決まったもんだから、バタバタで、自分のことなんか考えてらんなくて…。」
「あー…それは大変ですね…。」
「お前、他人事だな~…ちょっと、あのさ、ほんと久しぶりに会ってこんなこと頼むのもなんだけど…お願い!風呂貸して!」
先輩は手を合わせて、頭をさげた。
「えーーー!ちょっと待ってくださいよっ、そんなの無理ですって!」
「頼む、この後、会社に行かなきゃならないのに、これじゃまずいだろ…?」
まあ…確かに…汗だくで、薄汚れている…って思うけど…
「でも…そんないきなり…。」
「あ、そうか、彼氏に悪いとか、そんな感じか?」
「いや…彼氏なんていませんけど…。」
「ふーん、いないのか…じゃ、いいだろ、お願い。」
ああ、もう、そんな顔して頭なんか下げないでくださいよ…
もう、断ることなんかできないじゃないですか。
「わかりました…でも、10分待ってください。」
「オッケー!」
そう言って、とりあえず部屋に駆け戻った。
そして、今、先輩はうちのバスルームにいる。
私はドキドキがおさまらない。
こんな展開、誰も予想できない…
心の準備が…できないよ、先輩のバカ。
水の音が止まった。
ドアの開く音。
「おーい、バスタオルかして!」
もー、だから、心の準備ができていないっつーの…
「はい。」
私は、顔を伏せてバスタオルを渡した。
「なんだよ、お前、顔真っ赤だぞ。」
バスタオルを肩にかけ、パンツ一枚で脱衣所から出てきた。
あー、もう、人の気もしらないで!!
「早く洋服着てください!」
「はいはいっ…てか、お前、男の裸、見たことねーの?」
「…ありませんよ…悪いですか?」
一瞬先輩の動きが止まる。
「えっ、あっ、そっか…そうなのか…?ごめんな。」
そう言って、先輩は素早く服を着た。
玄関まで送る。
「ありがとな。助かったよ。」
「あ、はい。よかったです。」
「あの…
「あの…
同時に話しはじめて、言葉に詰まる。
「お前から言えよ…。」
「いえ、先輩からどうぞ。」
先輩が、はーっと息を吐いた。
「…会えてよかった。」
そう言って、優しく微笑んだ。
ああ…胸がきゅんとする。
あの時と同じ表情。
あの時と同じ気持ち。
心臓が爆発しそうなほど暴れ出す。
「握手、していいか?」
先輩が、私の前に右手を差し出した。
「再会の握手な。」
「あ、はい。」
私は、差し出された先輩の手を握った。
先輩は、私の手を強く握ると、グイッと引き寄せた。
キャッ…
私はよろけて、先輩の胸にぶつかった。
そしてそのまま抱きしめられた。
「五年前にこうしたかった…。」
頭の上から、そうつぶやく先輩の声が聞こえた。