身体の調子が悪くて、会社を早退し、近くの病院に駆け込んだ。
「カワハラさーん、カワハラ サクラさーん、2番の診察室にお入りください。」
私は、頭上の番号を確かめて、「失礼します」と中に入った。
ふと目につく、小さな桜の造花。
「荷物はこちらにおいてくださいね。」
看護師さんと目が合い、軽く会釈をして荷物を置くと、
そう言って、伏し目がちに手を差し出してくれたあの時の顔。
「あ…はい。」
私は、乾いた枝が折れるみたいに着席する。
動かない身体。
「口を開けてください。」
と、こちらを向く。
外したマスクを握りしめ、意を決して顔をあげると、
向こうを向いていた先生が、くるりとこちらを向いた。
その瞬間、胸にドカンと突き刺さるような衝撃。
マスクを外そうと頬のあたりに降りた手は、そのままなにも掴まず拳を握る。
あ…まさか…?
「どうぞ。」と伏し目がちに着席を促す 先生の顔を、もう一度よく見れば、
鮮やかに思い浮かんでくる、高校の卒業式。
「サクラのこと、ずっと好きだった。だから、最後に握手してくんないかな?」
そう言って、伏し目がちに手を差し出してくれたあの時の顔。
私だって好きだった。
けれど、大野くんは、関西の大学に進学が決まっていたし、
私は、卒業後 すぐに海外留学することが決まっていた。
始まりさえしなかった恋が、終わった日。
始まりさえしなかった恋が、終わった日。
泣かないようにと上を向けば、早咲きの桜が満開だった。
「どうぞ?おすわりください。」
「あ…はい。」
私は、乾いた枝が折れるみたいに着席する。
動かない身体。
「カワハラさん?…今日は、どうしましたか?
「あ…えっと、あの、熱があるみたいで、身体がだるくて…。」
「咳は出ますか?」
「…あの、少し…。」
「では、マスクを外してもらっていいですか?」
私は、右手でマスクのゴムに触れた。
こんなに緊張しながら、マスクを外すことなんてない。
大野くんは、横を向いて、トレーの中の器具を手にしながら
「口を開けてください。」
と、こちらを向く。
外したマスクを握りしめ、意を決して顔をあげると、
診察のために身を乗り出している大野くんと、目があった。
あの頃の私の名前は、「ワタナベ サクラ」だった。
そばには看護師さんがいる。
大野くんは、「…えっ?」と私にしか聞こえないほどの小さな声をあげた。
「カワハラ…さんですよね?」
「…はい。」
あの頃の私の名前は、「ワタナベ サクラ」だった。
続く